赤の雑記

色々書きます

心が崖っぷち

メンタルズタボロになった経験ないですか?

鬱状態になったりした事あるんですが、本当に日常生活送るのがしんどくなるんですよね。

おまけにそれを他人には理解してもらえない事が多い。

 

何故か?

鬱になった人となっていない人では心が限界を迎えた定義が変わるからじゃないか?と考えています。

言ってみれば崖っぷちに立たされて落ちそうになるのをギリギリと考えるか、崖から落ちて嵐の海で溺れそうになっているのを限界と考えるかという違い的な

 

島田紳助がかつて悩みは大きい方がいい。小さい事は人と共有できないから自分で抱え込んで限界迎えてしまう、みたいな事を仰ったそうです。

まあ、否定はしません。ただ、メンタル限界になった人にとってはクソバイスになっちゃいます。

いや、分かってますよそんなの誰よりも。

限界迎えた時、本当に日常の些細な事が心に刺さってきました。

そしてそれは人に相談できるような悩みじゃないんです。相談する必要なんて欠片もない。小さい小さい話でしたから。

 

でも、そんな事を思い悩み続けるんです。

どうしてなのか?

受け流す余裕ないですから。心が限界迎えた事で小さな事が大波になるんです。

だから限界迎えるなら休まないといけなくなるんでしょう。

そして限界迎えたところからまた活動できるようになるまでに復帰するのめちゃくちゃ時間いるんですよね。

自分の心の感じ方自体に変化起きてますから当然っちゃ当然なのかな。

 

だから島田紳助の言葉は限界きてない人、まだ軌道修正できる人には良いかもしれないです。

 

限界迎えた人は責任背負い続けるの厳しいですよ。

というか背負った責任で既に潰れてますから。

そこで新しく責任背負う事になればもうどうにでもなれってなりますよ。

無責任とかそういう次元ではなく、既に潰れてる自分に重し置くなら勝手にしろってなるんです。

 

限界を迎える前に自分を追い詰める事を解消していく。限界がきてしまったら可能な限り早急に心を休める環境を作る。

こんな誰でも言えることくらいしか対処手段思いつかないのが辛いところですけど、結局当たり前の事を当たり前にやるっていう事が必要なんでしょうね。

 

鬱治療に対してアメリカじゃ薬物治療減ってTMSとカウンセリング主体になってきているみたいな話聞いたんですが実際どうなんでしょう?誰かご存知の方いたら教えていただけますと嬉しいです。