赤の雑記

色々書きます

ささやかな幸せ

最近、お金を求めすぎるのは良くない。ささやかな幸せにそこまでお金は必要ないっていう風潮をTwitterなどでよく見かけるんですよね。

今日はそれについて考えていきたいと思います。

 

さて、まずは幸せになるのにお金がそこまで必要ないのか?です。これはまあ概ね合っているのでしょう。通常、人は誰かとの関わりにプラスの精神性がある時に幸せを感じます。

つまり、何をしているかより誰といるか。そこに幸せを感じる性質であるということを鑑みればある種の事実でしょう。

 

もちろん、行動によってもプラスの精神性が生まれる事は普通にありますので人と関わることだけがプラスを生むわけではありません。

しかし、行動するというのは基本的にお金がかかる、ないしはお金を手に入れる機会損失を受け入れる事なので最初は省きます。

後からまた触れますが笑

 

話を人と関わる事に戻します。

誰といるか、このワードにおいてお金が全くかからないわけではありません。ここで誰=家族として最低限の出費を考えましょう。

まず人間は衣食住がなければ生存できませんのでそれは必須です。次に家族との触れ合いに関してですが色々な関わり方があるのでここで発生する費用は一概には言えません。しかし、今回は費用かけなくてもいけるか?を最初の議題にしてますので費用をなるべくかけない想定で行きます。

費用をなるべくかけない関わりですと日々の会話などが安牌でしょうか?

あんなことがあった。こんなことが楽しかった。

それは良かったね。それは私も見たかった。今度一緒に行ってみよう。

こんな感じなどですか。

日々あった些細な喜びを共有したり一緒に過ごす場所について話す。コストなんてほとんどかかりませんね。あとは実際に行動する際にお金がかかりますが、これも高望みしなければ概ねできるでしょう。

釣りをしたり、山登りしたり、映画に行ったりファミリーレストランに行ったり…

多少の出費はあれどある程度の余裕があればどうにでもなりますね。

 

うん、たしかにお金をかけなくても些細な幸せなら享受できるのでしょう。

 

だから、お金を求めすぎるのは良くない。もっと日常に目を向けよう。

はて?本当にそこでいいのでしょうか?

私には不十分に見えますが…

 

別のところに目を向けましょう。

行動によって幸せを得るということについてです。

家族との関わりを幸せに感じるということを否定する気はありませんが、行動によって幸せを感じることも間違ってはいません。しかし、家族といるだけで幸せを捻出するのはなかなかにしんどい。だから行動して幸せを作り出そうとする。これもひとつの考え方でしょう。

そして、行動することはジャンルによってはお金がかかりやすいですし、何よりその手の行動はお金を生む機会を減らす行動になりやすいわけです。

だって働いてませんし、スキルアップの時間などを削りますから。

もちろん、仕事だけが人生ではありませんし、そんな事を言い出したら今回の話の主旨を塗りつぶすような事になりかねません。

しかし、先ほども言いましたが行動する事には金がかかりやすい分野があるのです。

 

例えば私は旅行が好きなわけですが旅行ってお金かかるわけです。

お金をかけて旅行先までの交通手段を用意してお金をかけて現地での宿泊を快適にする。お金をかけて旅先の施設を利用し食事を摂ったりもする。

もちろん、このお金削れます。節約できる人は大分お金を削れるでしょう。

 

さて、ここで私がお金を削る事でどうなるでしょう?

交通機関のお金を削れば快適な移動手段は無くなります。旅先でのお金を削れば体験できたかもしれない経験を積めなくなります。

あるいは旅先での安全性も確保できなくなります。

つまり幸福を得るために旅行という行動をするのにその幸福を投げ捨ててるわけです。

 

旅行は金がかかるからだ。他の趣味を持てばいいじゃないか。

そう仰る方もおそらくはいらっしゃるでしょう。

では、お聞きしましょう。貴方は私の人生に何の関係がありますか?

私は私の幸福のために行動するのです。そこでどこに幸せを感じるかは私だけが決定権を持っています。

これは例え家族が相手であったとしても関係ありません。

 

誰もが幸せを求めますがその幸せの形は人によって変わります。

お金はそんなにいらないというのは幸せの形がこうだから従えというのと変わりのない発言ではないでしょうか?

もちろん、必要十分以上に求める必要がないという思想は正しいか否かでいうと正しいでしょうあ。

ただし、それは既に必要十分以上に稼いだ者のみが言えるのです。

今、お金が必要十分でなければ苦しんでいるのです。そしてどこで必要十分になるのかはそれも自分が決めるのです。

何故なら何にどれだけのお金をかけるかは個人が決める事だからです。

 

唯一、言える事があるとするなら好きな事にお金を使って好きに生きた結果、お金がなくて苦しもうが自分の責任なのだから大人しく苦しんで勝手に解決しろ、くらいですね。

 

大金持ちになる事を目指す事自体は当たり前の事です。というか目指す先が大金持ちか小金持ちのどちらでも同じ事です。

重要なのはそこに至るまでの過程を受け入れているかです。

小金持ちになる方が大金持ちより当然、難易度は低い。そして小金持ちになれば趣味さえ適切なものが選べていればそこまで不自由はしない。

だから大金持ちを目指して苦しむより楽に生きられる。

これは当然の事です。当たり前の事実です。

 

ただし、それを自分の真理として受け入れる前に自分の幸せには本当にその程度の金銭で事足りるのか?自分の幸せに必要なのが人なのか、物なのか、場所なのか…

 

こういったことを考え、その結果に従って必要な金銭の多寡を決めるべきというのが正しいのではないでしょうか?