旅の過程
旅を通して人生の重要な箇所とは何か?
それを今回は考えていきます。
旅をするのって楽しいです。アウトドアがお好きなら同意していただけるのではないでしょうか?
では、その楽しい部分ってどこでしょうか?
実際に旅をしている時、もちろん素晴らしく楽しいです。
何故そこが楽しいのでしょう?
自分の知らない景色、経験があるからでしょうか?
それなら事前に下調べを行っていった旅行は楽しくないのか?
そんな事はありませんよね?
事前に調べたその土地の歴史、文化を自分の身で体験できた事は楽しみになります。
これらをまとめるなら旅はその全てが楽しいと言えます。
つまり過程の全てが楽しいのです。
もちろん苦労はあります。
事前に下調べをするならその苦労が、下調べをせずに行ったのなら言語や楽しい場所を探すこと、美味しくて安全な食べ物を見つけることなどの苦労があります。
社会人なら仕事を上手く調整して旅をする余裕を作る苦労もあるでしょう。
しかしその苦労を上回る楽しみを作ることができます。
そう、あくまで作るだけです。つまらないと感じることも容易にできます。面白くする努力を怠れば良い。
人生も同じです。
人生を楽しめる人は人生を楽しむ努力をしている。楽しむために苦労をしている。
しかし、楽しめている人はその苦労を受けいれられるくらいの幸福を得ている。
仕事を楽しくするために自分が充実感を得られる舞台を作る。もっと余裕ができるように複数の稼ぐ場所を作り出す。
自分が楽しめる場所を得られるように良い人と関われるよう努力する。
人生の価値をプラスにするもマイナスにするも自分次第なのです。
しかし、一方で自分ではどうにもならないケースもあるのです。
例えばイジメを受けた者、乗り越えることのできた者はいる一方で乗り越えられなかった者も確かにいます。
自分にとって世界の全てが不愉快になってしまったのです。
その世界の外側がある事は多くの人には当たり前に受け入れられる事ですが、当事者にはそんな当たり前は妄想の産物であり異常な人の発する戯言です。
ここまで大きな事象でなくともいい。
例えば先ほどの旅をすることに話を置いてみましょう。
旅をするにあたって休みを捻出しなければいけない。
そのために必死に働く。効率的に仕事をこなし、スケジュールを管理して休める時間を作り出す。
しかし、職場は他の人が働いている時には何もやることがなくてもいなくてはならない。
休みをとることが悪、あるいは効率的なやり方自体が悪、昔のやり方をひたすらにこなす事が重要である。
はっきり言ってこんな話さして珍しくもありません。
貴方もそんな経験は小さかろうがあるはずだ。
それが社会の基本的な構造だから。
なぜそんな事が罷り通るのか。
それは世界が中心としているのが力あるものだからです。
会社なら上司ほど力がある。そしてその上司の我儘を押し通せる条件がある。
なら上司は自分勝手に振る舞いますよ。
それが非効率だろうが、会社にとっての不利益になろうが。
何故ならそれが上にとって一番良い結果だからです。
これが嫌ならそんな形を変えなければならない。
実際にいろんな人がそのための努力をして結果を出しています。
ある人は自分で会社を立ち上げる。
ある人は投資だけで生きていけるようにする。
ある人は自分に損害を齎さない人の下で働けるようにその人の下に就いて持ち上げる。
いろんなやり方がありますが、どれも結果さえ出せれば良いのです。
結果を出しましょう。それも目的を継続できる結果のやり方で。
例えば、自分の我儘を押し通すために犯罪をする人がいますね。あれって短期的には良くても長期的には非常にリスクが高い。
何故なら犯罪を行うということは国家という極めて大きな存在を敵にすることだから。
お金持ちが国家を敵にしますか?
しませんよね?彼らは国家が自分たちにとって利益になってもらえるように動きます。
私たちも同じです。
自分にとって最も効率的に動くには敵を減らして味方を増やした方が楽で良い。
敵は潰すより関わらない。どうしても関わらざるを得ない時は早急に大きな存在に対処してもらう。
まとめです。
人生を楽しむにはそのための努力が入ります。
努力自体を邪魔する人がいます。
邪魔な人と関わらずにいれるポジションがあればそこに動きましょう。
どうしても対処する必要があれば可能な限り楽に対処できるよう大きな存在に対処してもらいましょう。
好きな事から逆算
お金欲しいですか?
清貧が尊ばれられたりお金儲けに邁進する事が非難されたりするのを見たりします。
貴方はどうでしょうか?
お金欲しいですか?それともそんな事を重視するのは良くないと思いますか?
私は欲しいです。いくらでもあって良い。寧ろ湧き出る湯水の如く欲しいです。
しかしいくらあれば良いのでしょう?
金はあればあるだけ幸せという格言を某なんとか桜の一コマで見かけましたがここでは食費とか生活必需品などを除いた余分で必要な量を考えていきます。
さて、私は旅が好きなのですが旅は死ぬほどお金が要ります。特に今の日本を考えると😔
食事も好きで美味しいものを探す日々です。糖尿病がそろそろ心配です。今年の健康診断は大丈夫でしょうか?
時にふと思ったんですよね。トルココーヒーって面白いなって。
金属製のカップに豆と水入れて熱した砂で沸騰させてコーヒー作って上の噴き上がってるのを注ぐ。
動画で見ますけど実際にその光景を見てみたい。味は?コーヒー占いってどんな感じ?
こんな事を思いました。
当然そこで試そうとするのはコスパの良い方法です。
日本国内でそんな店やってるやつおらん?
ネット検索しました。
ヒット!なんか移動式屋台でやってる人おったでっていうネタを提示してるブログ見つける程度
他にそこらへんなさげ?
でも味わいたい。試したい。
じゃあ現地行くか。
現地行くならどうしたらええ?
海外よな、飛行機だ!ANA信者が乗って許されるフライトルートはこれか!?
値段は?
…片道25超
oh…
これはヤバい
こんなん金持ちしか行けんじゃん
知るか、俺は行きたいんじゃ
こういう自分の欲求に素直になればなるほどにお金が要ります。こんなふとした思いつきをポンポンしてったら財布もボンボン爆発していきますよ
じゃあ稼ぐしかないですよね?
これ我慢すれば良いって言います?金貯めて行けば良いじゃんって言います?
人生なんてせいぜい100年ちょい
おまけに自分の身体使って好きに行動できる時間なんて僅かですよ?
無駄な時間なんて使いたくもない
じゃあ稼ぎまくれるようになって行くしかない。
こうなるとそりゃお金があればあるだけ幸せです。
日々の些細な事で幸せ感じてゆるりと生きる。否定はしませんが、私はその生き方より成金言われようが金の亡者言われようが自由に伸び伸び生きたいですね。
(金の)ゆとり世代でありたかった…
しかしつくづく間が悪いんで今できる事をするしかない。
そう思って稼ぐ手段を考えて行動するんです。
これって悪ですかね?清貧の方が素敵ですかね?
稼ぐ事自体には善も悪もないと思うんですけどどこで稼ぐ事のイメージ悪化させるんでしょうか?
こう考えると政府のせいなのかな?なんて思うこともしばしば
稼げないと人を妬むし足を引っ張るんです。人って弱いから
それを防ぐために働けば稼げる構造を作り続ける必要はあったと思いますよ。
しかし今の状況で非難ばかりしてても仕方ない
じゃあ自分が勝てる方式を個々で見ていくしかない。
自分は人と関わるより個人でやっていく方が好き
じゃあ稼ぐ方式も個人でやれる事主体で考える。
じゃあトップより個人事業主とかの方がいいのかな?
とまあ色々考えられますよね。
好きな事で生きていく。
YouTubeの最初の方でそんなキャッチフレーズ出てましたけど、ああいうキャッチフレーズではなく自分の好きな事をやるために必要な事、できる事を試していくっていうのが人生でやるべき戦いなのかな?って思ったわけです。
義務と努力
私たちって大体義務に追われまくってますよね。
毎年の鬱陶しい話で言うと税金があり、日々の仕事があり、生存のために食事がある。
いや、最後のは楽しみにもなるから違うか…
とにかくいろんな義務が常にあるわけです。
そして大抵そういった義務はモチベが高くはなりませんよね。
今回はそんな事を考えたと言うお話です。
税金の処理でモチベ高くなる方もしいたらコメントで教えてください。
そして是非どういうところでモチベ高くできるのかブログで書いて欲しいです笑
さて話を戻しますが、いろんな義務に対しては大体人はやる気が起きないものです。しかし、やらなければならないからやる。
これが基本的な形になります。
しかし、先ほど例を挙げた中の仕事。
これは結構特異な話になるわけです。
何故なら仕事にはモチベを上げれる理由が作れる。
一番単純なのが給料ですね。お金を稼げるという理由がモチベを上げる理由になるわけです。
そしてお金を稼げるからそのためにより良い仕事をできるようにと努力する。職場での評価を良くするために働くわけですね。
ここで、最近聞いたお話がありまして行った者負けになるのは良くないって話なんですけど
一応URL載せときますね。消えてるかは知らん
「心理的安全性」とは何か? 石井遼介さんに分かりやすく教えてもらいました|NHK就活応援ニュースゼミ
これって賛否両論聞いたんですが、上司がクソだっていう意見から報告する段階で解決準備しておくの当たり前だろっていう意見までありました。
実際どっちも別に間違ってはいないと思いますよ。
仕事増やされたくないっていうのも普通でしょうし、問題提起するなら解決策まで用意しとけっていうのも普通ですし。
そこを論ずるのは面倒いので好きな方同士でどうぞ
今回の話で重要なのはじゃあそういうのモチベ上げるにはどうしたらええのん?ってことです。
これで上司の対応を非難した人って概ね給料と仕事の関係性が割に合わないって感じてるんじゃないでしょうか?
だから報告しても仕事増えるだけで価値がないと判断しちゃう。
逆に解決準備しとけっていう側はその先にあるプラスをイメージできている。
例えばこういう問題を解決していって上司の覚えが良くなりより重要な仕事を任されるポジションになっていく。つまり出世していくというのがプラスに捉える側でしょう。
出世しても給料が見合ってない、無駄に働かされて時間がなくなるだけやそもそも出世できない立場(アルバイト等)だから無駄に仕事増やしたくないというのがマイナスに感じる側ではないでしょうか?
自分にとって今目先にある最も重要な事を蔑ろにされていると感じるか満たされたからその先を見ようと思えるか。これが努力していけるかで重要な分岐点になるのではないでしょうか?
もし、今アルバイトなどで正社員になる可能性がないとして、その場所でモチベを上げるにはどうすればいいでしょう。
ひとつにはその仕事を達成する事で自分の能力や実績が上がる事でプラスになる未来を増やしてあげる事があります。
正社員ではない事でモチベが上がらないならこういう実績を積み重ねて雇ってもらえるストーリーを手に入れるきっかけになったりするかもしれません。
あるいはそういう困難を大量に経験する事で自分で起業した後の困難を対処する準備ができる、他には他人からの信頼を得て人脈ができるなど様々な自分にとってプラスになる未来を想像すれば努力する原動力になります。
では、こうした努力をコツコツしていける者が最も強いのか。そう言われるとそれは違います。
努力を積み重ねるのは重要で成長する人は誰もが当然のようにします。
しかし、一番かと言われると疑問が残る、それは何故か?
だってモチベの元になる未来なんて簡単に壊れますからね。
大不況になってそんな事考えている余裕がなくなる。業界にAI革命が起きて人材が余りすぎて就職難の時代が来る。
嫌な未来なんて当たり前に訪れるのですし一番と言うには不安定な原動力です。
もちろん、こんな事を言い出したら何でもそうやって否定できますけどね。
ただ、私としてはもっと良い原動力があると思っているわけです。
それがオタクです!
オタクは自分の好きなもののために凄く良く活動しますよね。
良いオタクから死ぬほど世間に迷惑なオタクまで種々ありますが、彼らのいずれにしても自分の好きな事に熱中しているのは変わりません。
それを自分がやるべき事に見出せれば最も良いと思うわけです。
仕事でそんなことできるのか?という疑問に対しては意外にいます。
自分のやっている仕事でこんなことができるようになりたい。あんな事をやってみたいという方って普通にいます。
ではどうやって仕事を好きになるのか。
そこは自分の気質と合わせて好きになれるものを見つけていくしかないです。
例えば、仕事で自分ならこうするのになっていう事があったとして、それを実際にやったらどうなるのか、他にも試していない人がいないか調べてみたり、自分がやっても良い状況を作って実際にやってみたり。
自分のやりたい事をやってみる。その下準備をしてみると結構モチベを上げれたりします。
だからまずは好きになる事が重要なんですけどここでひとつ罠があります。
碌でもないブラック企業でやりがいだけを求めても壊れる場合があるって事です。
碌でもない場所だとしょうもない雑用が腐るほどあり、本業での活動時間が制限されまくってる場合があります。
そんなところでやる気出しても雑用解消マシーンとして重宝されるだけで本業で色々試したりすることが難しいって事は多々あります。
だからやっぱり場所も重要なんですよね。
自分の仕事に従事できる環境で、いろんな事に疑問を抱いてそれについて学んで試す。
それらが楽しめる事を見出すための努力と言えるでしょう。
自分の人生を守ってかつ楽しめる道を見出していきましょう!
ささやかな幸せ
最近、お金を求めすぎるのは良くない。ささやかな幸せにそこまでお金は必要ないっていう風潮をTwitterなどでよく見かけるんですよね。
今日はそれについて考えていきたいと思います。
さて、まずは幸せになるのにお金がそこまで必要ないのか?です。これはまあ概ね合っているのでしょう。通常、人は誰かとの関わりにプラスの精神性がある時に幸せを感じます。
つまり、何をしているかより誰といるか。そこに幸せを感じる性質であるということを鑑みればある種の事実でしょう。
もちろん、行動によってもプラスの精神性が生まれる事は普通にありますので人と関わることだけがプラスを生むわけではありません。
しかし、行動するというのは基本的にお金がかかる、ないしはお金を手に入れる機会損失を受け入れる事なので最初は省きます。
後からまた触れますが笑
話を人と関わる事に戻します。
誰といるか、このワードにおいてお金が全くかからないわけではありません。ここで誰=家族として最低限の出費を考えましょう。
まず人間は衣食住がなければ生存できませんのでそれは必須です。次に家族との触れ合いに関してですが色々な関わり方があるのでここで発生する費用は一概には言えません。しかし、今回は費用かけなくてもいけるか?を最初の議題にしてますので費用をなるべくかけない想定で行きます。
費用をなるべくかけない関わりですと日々の会話などが安牌でしょうか?
あんなことがあった。こんなことが楽しかった。
それは良かったね。それは私も見たかった。今度一緒に行ってみよう。
こんな感じなどですか。
日々あった些細な喜びを共有したり一緒に過ごす場所について話す。コストなんてほとんどかかりませんね。あとは実際に行動する際にお金がかかりますが、これも高望みしなければ概ねできるでしょう。
釣りをしたり、山登りしたり、映画に行ったりファミリーレストランに行ったり…
多少の出費はあれどある程度の余裕があればどうにでもなりますね。
うん、たしかにお金をかけなくても些細な幸せなら享受できるのでしょう。
だから、お金を求めすぎるのは良くない。もっと日常に目を向けよう。
はて?本当にそこでいいのでしょうか?
私には不十分に見えますが…
別のところに目を向けましょう。
行動によって幸せを得るということについてです。
家族との関わりを幸せに感じるということを否定する気はありませんが、行動によって幸せを感じることも間違ってはいません。しかし、家族といるだけで幸せを捻出するのはなかなかにしんどい。だから行動して幸せを作り出そうとする。これもひとつの考え方でしょう。
そして、行動することはジャンルによってはお金がかかりやすいですし、何よりその手の行動はお金を生む機会を減らす行動になりやすいわけです。
だって働いてませんし、スキルアップの時間などを削りますから。
もちろん、仕事だけが人生ではありませんし、そんな事を言い出したら今回の話の主旨を塗りつぶすような事になりかねません。
しかし、先ほども言いましたが行動する事には金がかかりやすい分野があるのです。
例えば私は旅行が好きなわけですが旅行ってお金かかるわけです。
お金をかけて旅行先までの交通手段を用意してお金をかけて現地での宿泊を快適にする。お金をかけて旅先の施設を利用し食事を摂ったりもする。
もちろん、このお金削れます。節約できる人は大分お金を削れるでしょう。
さて、ここで私がお金を削る事でどうなるでしょう?
交通機関のお金を削れば快適な移動手段は無くなります。旅先でのお金を削れば体験できたかもしれない経験を積めなくなります。
あるいは旅先での安全性も確保できなくなります。
つまり幸福を得るために旅行という行動をするのにその幸福を投げ捨ててるわけです。
旅行は金がかかるからだ。他の趣味を持てばいいじゃないか。
そう仰る方もおそらくはいらっしゃるでしょう。
では、お聞きしましょう。貴方は私の人生に何の関係がありますか?
私は私の幸福のために行動するのです。そこでどこに幸せを感じるかは私だけが決定権を持っています。
これは例え家族が相手であったとしても関係ありません。
誰もが幸せを求めますがその幸せの形は人によって変わります。
お金はそんなにいらないというのは幸せの形がこうだから従えというのと変わりのない発言ではないでしょうか?
もちろん、必要十分以上に求める必要がないという思想は正しいか否かでいうと正しいでしょうあ。
ただし、それは既に必要十分以上に稼いだ者のみが言えるのです。
今、お金が必要十分でなければ苦しんでいるのです。そしてどこで必要十分になるのかはそれも自分が決めるのです。
何故なら何にどれだけのお金をかけるかは個人が決める事だからです。
唯一、言える事があるとするなら好きな事にお金を使って好きに生きた結果、お金がなくて苦しもうが自分の責任なのだから大人しく苦しんで勝手に解決しろ、くらいですね。
大金持ちになる事を目指す事自体は当たり前の事です。というか目指す先が大金持ちか小金持ちのどちらでも同じ事です。
重要なのはそこに至るまでの過程を受け入れているかです。
小金持ちになる方が大金持ちより当然、難易度は低い。そして小金持ちになれば趣味さえ適切なものが選べていればそこまで不自由はしない。
だから大金持ちを目指して苦しむより楽に生きられる。
これは当然の事です。当たり前の事実です。
ただし、それを自分の真理として受け入れる前に自分の幸せには本当にその程度の金銭で事足りるのか?自分の幸せに必要なのが人なのか、物なのか、場所なのか…
こういったことを考え、その結果に従って必要な金銭の多寡を決めるべきというのが正しいのではないでしょうか?
先の見えない時
今日は人が生きる上で必須なもの、無くしてしまった時にどうすればいいかを考えていきます。
生きてる時に誰もが先を見ています。
バイトでお金欲しいという人はお金を得た先を見ている。キャリアを築きたいと言う人はキャリアを築き上げた後を見ている。
これはそれが曖昧で合ったとしても変わりません。
皆、多かれ少なかれ未来を意識しています。
しかし、世の中にはそれを意識できない人がいます。この理由は様々です。
ある人は虐められ続けた。ある人は歩けなくなった。ある人は大切な人を亡くした。
共通する点はその人は未来にプラスをイメージできないという事です。
虐められた人は誰かに愛される未来に生きる自分を失い、歩けなくなった人は自分の意思で思ったように動く未来を失ったのです。
例え、それが他人から見れば思い込みに過ぎなかったとしても本人にとっては事実として未来が存在しないんです。
さて、そうして未来を意識できなくなった人はどうなるでしょうか?
そう、絶望します。絶望した後は無気力になったりして行動力が低下します。行動力が低下すれば益々その未来を変えることが困難になっていきます。
世の中はつくづく負ける者には厳しいですね。
ではそうなった時、そのような未来へのルートを変えるにはどうすればいいのか。もちろん、未来を変えるために行動する必要があるわけですが、そんなのできたら誰も苦労しません。
私も苦しまず安らかに過ごせているでしょう。
しかし、どうにかしないとどうにもなりません。
一応、誰かに助けてもらうという選択肢がないわけでもありませんが、それはデウス・エクス・マキナみたいなもので絶望している側からしたら到底期待するに値しません。
さあ、どうしましょう。
端的に言ってしまうならまず環境を変える必要があります。
別に今すぐ仕事辞めろ!引っ越せ!!なんて言う気はないです。ですが、環境は変えた方がいい。
具体的には新しい環境に接することのできるだけの時間的に猶予と可能なら金銭的猶予を得た方がいい。
まず、絶望してる人のうち時間がある人って多分珍しいです。そもそも現代日本ってそんな余裕持って生きてる人少ないでしょうし。
ただ、我々絶望してしまった者にとっては生きることは拷問に等しく余裕のない状態でそこから更に足掻くことは困難を極めます。
趣味を副業にする人などは時間を削ってなんとか趣味の腕を磨いて技術上げていくわけですがそんな事のできる精神的余裕ありゃそもそも絶望なんかしませんて。
我々には肉体的あるいは金銭的余裕のある者はいるかもしれない。でも精神的余裕はないです。
だからまずは精神的余裕を作る前準備、時間的な余裕を作ることから始める必要があるわけです。
(注意点としては鬱病とかになっちゃった人は無理に環境変えるのなかなかヤバいので先にお医者さんいくなり休職するなりした方が良いとは思います。私も鬱になった事ありますけどマジで何もできなくなります。あれは精神的余裕ないどころかマイナス行ってるので)
さて話を戻しますけど、時間的余裕を作ってその後は気分の向くままに行動するっていうのがおすすめです。旅行行くなり、新しい趣味をしてみるなり、好きに行動してみましょう。
この時大事なのが誰かに主導権を握らせるスケジュールは組み込まないってことですね。
相当そのスケジュールに熱中できてるなら別ですが最初とか特にいつ潰れても当然くらいの軽いノリで行動した方がいいんです。今は自分の新しい未来を探す段階ですからね。誰かとの積極的な約束しちゃうとそれを絶対にしないといけない状況に置かれます。そうしたらせっかく作った時間的猶予がなくなり精神的余裕が出てきてても削られます。
今はなけなしの余裕を投資して自分の余裕を作っていこうって段階ですから無理は禁物です。
そうして自分の人生に潤いが出て幸福になれば少しずつ精神的な余裕が増えていきます。そうやってから他の人と関わる機会を作っていきましょう。ただ、元の環境でだいぶ追い込まれた人もいると思うので関わる相手は厳選した方がいいとは思いますけどね。
今日はこんな感じです。では
心が崖っぷち
メンタルズタボロになった経験ないですか?
私鬱状態になったりした事あるんですが、本当に日常生活送るのがしんどくなるんですよね。
おまけにそれを他人には理解してもらえない事が多い。
何故か?
鬱になった人となっていない人では心が限界を迎えた定義が変わるからじゃないか?と考えています。
言ってみれば崖っぷちに立たされて落ちそうになるのをギリギリと考えるか、崖から落ちて嵐の海で溺れそうになっているのを限界と考えるかという違い的な
島田紳助がかつて悩みは大きい方がいい。小さい事は人と共有できないから自分で抱え込んで限界迎えてしまう、みたいな事を仰ったそうです。
まあ、否定はしません。ただ、メンタル限界になった人にとってはクソバイスになっちゃいます。
いや、分かってますよそんなの誰よりも。
限界迎えた時、本当に日常の些細な事が心に刺さってきました。
そしてそれは人に相談できるような悩みじゃないんです。相談する必要なんて欠片もない。小さい小さい話でしたから。
でも、そんな事を思い悩み続けるんです。
どうしてなのか?
受け流す余裕ないですから。心が限界迎えた事で小さな事が大波になるんです。
だから限界迎えるなら休まないといけなくなるんでしょう。
そして限界迎えたところからまた活動できるようになるまでに復帰するのめちゃくちゃ時間いるんですよね。
自分の心の感じ方自体に変化起きてますから当然っちゃ当然なのかな。
だから島田紳助の言葉は限界きてない人、まだ軌道修正できる人には良いかもしれないです。
限界迎えた人は責任背負い続けるの厳しいですよ。
というか背負った責任で既に潰れてますから。
そこで新しく責任背負う事になればもうどうにでもなれってなりますよ。
無責任とかそういう次元ではなく、既に潰れてる自分に重し置くなら勝手にしろってなるんです。
限界を迎える前に自分を追い詰める事を解消していく。限界がきてしまったら可能な限り早急に心を休める環境を作る。
こんな誰でも言えることくらいしか対処手段思いつかないのが辛いところですけど、結局当たり前の事を当たり前にやるっていう事が必要なんでしょうね。
鬱治療に対してアメリカじゃ薬物治療減ってTMSとカウンセリング主体になってきているみたいな話聞いたんですが実際どうなんでしょう?誰かご存知の方いたら教えていただけますと嬉しいです。
贈り物の価値
贈り物を誰もがしていると思います。
親しい人の記念日などへの贈り物からお中元やお歳暮などの社会的に関わりのある人への贈り物と様々なものがあるので何かしらはなさったことがおありでしょう。
贈り物をする際何を考えて贈るでしょうか?
基本的には普段の感謝などの相手に対する好意でしょう。
さて、この大前提として他者を受け入れられる人間であるというのがあります。
え!?親しい人に対してなら分かるけどお中元みたいなのにそんなものいらないでしょ?
おそらくそうおっしゃるでしょう。
間違ってはいません。
所詮、ただの作法であり、思いを込めて贈る人なんてほとんど居られないでしょう。
はい、間違ってはいないのです。ただ、それは自分が人を受け入れられる状態だからそう言えるのです。
少し想像していただきたい。
今までの人生で自分の行動が人に受け入れられなかった。
今まで自分に対して好意を持って接してくれなかった。
実際にはこんな事そうそうないわけですが、そう思い込んでしまっている状態だと思ってください。
そういった状態の時、人に贈り物したいですか?
贈り物をする時の金額が僅かであっても払いたくないと思いませんか?
それで当然なんです。だって、今まで自分にとって他人がプラスになった経験がないんですから。
人と付き合いたいと思えるのは物理的精神的種々様々ありますがそれら利益が出てくると信じられる場合だけです。
信じることができない人はそんな相手のために自分に残されたものを相手のために消費することができません。やるとしても極めて強いストレスになってしまいます。
だから、人を受け入れる人間、すなわちその準備ができている必要があります。
では、この準備とは何をすれば良いのでしょう?
まずは何より今の自分がどれだけ人を受け入れることが難しいかを理解することです。
人を受け入れることが難しいと自覚する事も自分にとってのストレスになりかねません。
ただでさえ自分が苦しんでいる最中に自分ができない事を直視させられる事が辛い、しんどいと思うのも当たり前です。でも、それでも直視しないと始まらないんです。
自分の今いる場所を見て、それをどうやれば変えられるかを考えてそのための行動を行う。これをやらないといけない以上、スタートを直視する事は避けられないんです。
だから自分を変えたいと思う人まず今の自分を受け入れてあげましょう。
自分を直視できた次は自分にとってマイナスだと思っている要因を自分に与えない人間を見出す事です。
ここで我々のような人間はまた極端に行っちゃうんですよね。マイナス要素全てが永遠に生じない人間を求めてしまうんです。
今まで傷付いてきましたからね。もう傷つきたくないんです。
でも、ですよ?どうせ、今まで傷付いてきたじゃないですか?辛くて苦しい対人関係を強いられてきたわけです。
じゃあその中で見つければ良いんです。
普段から良く関わらざるを得ない人の行動を思い返してその中で自分にとってのマイナスが生じることができる人がやらなかったことを思い直しましょう。
たった一つ、それだけでは何も変わらないかもしれません。
でも、その人と関わるのって24時間中何時間ですか?
100%中何%ですか?
きっとそこまで多くはないです。
じゃあそれで良いんです。自分に関わるタイミングだけ自分が受け入れやすい人でいて貰えば良いんです。
それを繰り返していけば自分を排除する人はいない状態です。
これで最低限の準備は整いました。
自分のマイナス面を理解して自分のマイナス面を作ると思っていた人が自分にプラスを与えてくれる。
これで自分が他人を否定する必要はなくなります。これを繰り返すことで最低限の場では人を受け入れられるようになります。
まあここまでいくのにある意味いちばん重要な事が何かと言えば自分にプラスを見せてくれる人と出会えるかかもしれませんけど。
自分だけであり得ない事を進めたらそれただのドン・キホーテですからね。
自分の今の弱さを自分のため、その場だけの話でも受け入れてくれる人がいないともうどうしようもないってなります。そういう人を探しに行ければ良いんでしょうけど、そんな余裕がないわけでしょうからもしご自分に余裕があれば少しでも受け入れてあげてください。
それがきっと近しい人の苦しみを改善していくきっかけになるでしょう。